中矢伸一の「日々是弥栄」

『完訳 日月神示』への批判に応える (2013年3月11日「今週のコラム」の再掲)

日月神示の全巻本、『完訳 日月神示』(https://www.amazon.co.jp/dp/4905027241)について、最近ご批判の声があるようですので、この場をお借りしてお答えしようと思います。

少々長くなりますが、ご容赦ください。

 

私も日月神示に関わって20年以上になりますが、その間にも様々なタイプの「日月神示」全巻本が刊行され、出回っておりました。

中には、自費出版で出したものや、全巻本を一頁ずつコピーしてそれを綴った手作りのものもありました。

これらはいずれも「至恩郷」発行の『日月神示・全巻』を底本としています。あるいはこの『日月神示・全巻』が作られるよりさらに前の底本があったと推察されます。

90年代に入ってから刊行されたものは、すべて同じです。

それらはいずれも、岡本天明師ご存命の時代に作られた「第一仮訳」をベースにしているものの、『日月神示・全巻』の段階ではすでに、岡本三典氏(天明師夫人)の独自解釈による表記が多く混じるなどして、もともとの訳文とは違ってしまった箇所が随所に見受けらます。

長年の間、日月神示関係者の間ではこの点が問題視されていましたが、原文と照合して、新たに正確な訳文を作るという作業は、大変ですし、誰も行っておりませんでした。

しかし、2000年代に入ってまた日月神示に注目が集まるようになるにつれ、これは一度、一言一句、原文と照合して検証し、明らかな誤記や欠落している部分は修正して、完全に近いバージョンを作った方がいいということになりました。

そこで、原文が収録されている『原典 日月神示』(新日本研究所/絶版)と、『日月地聖典』や従来市場に出回っている『ひふみ神示』とを細かく照らし合わせ、訳者の意図や先入観は排除する形で、できる限り原文に忠実な訳を作ることを心掛けて、およそ2年間、25ヶ月をかけて、ほぼ一巻ずつ『たまゆら』誌上で発表していったのです。

修正を入れた箇所は、あとで第三者が再検証しやすいように、太字で表記しました(これが細かい部分も入れるとけっこうありまして、読みづらくなりますので、『完訳 日月神示』ではこの太字表記ははずしてあります)。

こうして、第23巻の「海の巻」まで(『日月地聖典』では上巻・中巻の部分。『ひふみ神示』では上巻の部分)の検証を終え、『たまゆら』での発表も終わりましたが、今度はこれを一冊にまとめて後世に残した方がいいということになりました。

ただし、第24巻の「黄金の巻」以降は、そもそも原文が存在しませんので、検証作業が不可能ですから、あくまで「明らかな誤表記」と思われる部分のみの修正となりました。

こうして、全巻本の校正が終わりましたので、上下巻をセットにして、『完訳 日月神示』として、『たまゆら』会員を対象に、研鑽用資料として頒布を始めたのです。

実際は、やはり「100%完全な訳」というわけにはいかず、「できる限り原文に忠実に、正確な訳に近づけたバージョン」ということになります。

『完訳 日月神示』をお持ちの方はご存知ですが、本書の冒頭、私はこのような前書きを添えています。

 

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日月神示の原文が、一から十、百、千などの数字や、仮名、●(○にゝ)や●(渦巻き)などの記号などで成り立っており、傍目(はため)には非常に判読困難な文章であることは、ご存知のとおりである。

この神示を書記する御役を担った故・岡本天明師は、とりあえず全文の訳を終え、「第一仮訳」として発表している。

それをまとめたものが、過去にいろいろと出回っている。名称も、『日月神示』、『ひふみ神示』、『一二三神示』、『一二三』、『日月地聖典』という具合に、様々なものがあるが、いずれも基本的には「第一仮訳」をベースにしていると思われる。

しかし、原文と細かく比較対照してみると、そこには、天明師の「第一仮訳」とも違う表現がみられたり、完全に欠落していたり、誤訳されている部分が何箇所も見受けられる。

そのため、これは一度、最初から原文に照らし合わせて検証しつつ、正確な訳を作ってみた方がよいということになり、原文との照合が可能な第一巻『上つ巻』から第二十三巻『海の巻』に至るまでの神示を、『たまゆら』平成十八年一月号(№138)~平成二十年一月号(№162)の誌上で、二十五回にわたって連載した。

本書はそのすべてを、さらに念入りに校正しつつ、一冊にまとめたものである。

本稿では、私的な見解は極力はさまないように配慮し、原文にできる限り忠実な訳文を心がけた。

なお、参考にした文献は、原文の方が『原典・日月神示』(新日本研究所)、訳文の方が、『日月神示・全巻』(至恩郷)、および『改訂版 ひふみ神示』(コスモ・テン・パブリケーション)である。

今日出回っている「日月神示」と照らし合わせ、欠落している箇所や、相違している箇所については、すべて修正した。また、旧かなづかいは現代かなづかいに直した。

以上、日月神示を真剣に討究したい読者の参考の一助にして頂ければ幸いである。

 

                              中矢伸一

 

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以上が、会員の研鑽用として内部資料的に頒布していた『完訳 日月神示』が出来るまでの経緯です。

弊社のスタッフにも、この本の取り扱いは慎重を期すように指導し、発送作業などで触れる際には必ず事前に手を洗うことや、足のつくところに直接置かないなど、注意を払ってもらいました。

そうこうするうち、知り合いのヒカルランドさんから、会の内部で頒布しているだけではもったいない、全国の書店で置くようにすればもっと多くの方に「正確なバージョンの日月神示」を読んでもらえるわけですから、という有り難いご助言を頂きました。

ちょっと迷いましたが──取次店や書店を通すと、乱暴に扱われたりするので──ヒカルランドさんもよくこの本の主旨を理解され、小会で出していた体裁とほとんど同じにすること、本全体を薄いビニールで包むなど、丁寧な作りを心掛けることに協力してくださったので、「ヒカルランド版」が世に出ることになったのです。

 

何も事情を知らない人は、私が恣意的に表記を変えたり、あたかも自分の好きなように手を加えたような言い方をする人がいますが、それはまったく逆で、むしろ「恣意的な訳は極力排除し、原文に近い、ありのままの日月神示」を再現した(再現に努めた)わけです。

ですので、市場に出回っている「日月神示」とは、相違箇所があるのは当然なのです。

 

最後に、日月神示と長年関わって来られた栗本正徳氏が、『たまゆら』№140(平成18年3月号)に寄せてくださった文章をご紹介します。

このお名前はペンネームですが、業界では知る人ぞ知る、という方です。

日月神示研究では私よりずっと古い方で、率直なご意見をズバズバ言う方なのですが、その方から「ぜひこれを『たまゆら』に載せてほしい」と頼まれたので、掲載させて頂いたものです。

ご参考までに、お読み頂ければ幸いです。

 

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中矢伸一氏が、日月神示の研究家にとって長年の課題であった正確な日月神示の訳文を月刊『たまゆら』平成18年1月号(№138)に「完訳・日月神示」として新連載された事に対して賛同するとともに、心からお喜び申し上げます。(中略)

日月神示の研究家や信奉者にとって長年の懸案とは、日月神示の原文を解釈した訳文で、正確な訳文が存在していないことであります。

日月神示の訳文は、過去に7回ほど、いろいろの人物や組織や団体や出版社が、印刷したり出版したりしました。そして、現在出版されている唯一の訳文は、すでに倒産した()コスモ・テン・パブリケーションから出版業務を引き継いだ「銀河の本舎」(㈱コスモ・ビジョン)が出版している『新版 ひふみ神示』だけであります。

しかし、誠に残念ながらこの『新版 ひふみ神示』は、故・岡本天明師が、日月神示の原文を解読して訳文をつくるための研究会の同志と共に訳された第一訳(第一仮訳)とは、数多くの箇所で、言葉や文字や漢字や文章などの表現が違っています。

この訳文が違っている原因や理由については、編集や印刷などの仕事上の過失なのか、それともある意図における故意の改訂なのか、不明であります。私の調べました範囲では、その両方が重なった結果と思われます。

具体的に違っている箇所を指摘しますと、「富士は晴れたり」が、「普字は晴れたり」に、「金毛」が「金母」に、「邪鬼」が「二八基」に、「大蛇」が「大老智」に、「世界を泥で海にせねばならぬ」が、「世界を泥海にせねばならぬ」のように、かなり多くの箇所や部分で、誤字、脱字、欠字、違う言い回しや文章等があります。

もちろん、日月神示に「八通りに訳せる」と預言されているように、いろいろの解釈の訳文が存在してもおかしくはありません、しかし、予言と預言は、まったく別の次元のものでありますので、ノストラダムスの予言と日月神示の預言を混同してはなりません。

どのようにでも解釈できるノストラダムスの予言解釈と同じように、こじつけの文字遊び的解釈や、でたらめの言葉遊び的解釈や、ごろ合わせの漢字遊び的解釈は、絶対にするべきではありません。

なぜならば、聖書やコーランをはじめ、大本神諭、伊都能売神諭、霊界物語それに日月神示の様な、神書や神典や預言書というものは、あくまでも故・出口王仁三郎師や故・岡本天明師のように、使命や天命を持った人物だけが解読して解釈できるからです。

思い起こせば、1990年代に日本中に一大ブームを巻き起こしたノストラダムスの予言を、自称「救世主」や自称「霊能者」や自称「予言者」や自称「予言解読者」が、強引なこじつけのごろ合わせ的解釈をした本を数多く出版して、一般大衆を幻惑し、最後には予言解釈がまったく外れて社会から非難され、嘲笑されて消えていったように、日月神示の預言解釈は慎重に検討する必要があります。

日月神示の預言解釈を、ノストラダムスの予言解釈と同じように、興味半分で解釈・解読することは、逆に月神示の社会的な評価や価値や信用を落とす可能性がありますので、充分に注意する必要があります。

日月神示は、日本人だけではなく、人類に対する神々の経綸書であり、警告書であり、預言書であります。

                                  以上