東日本大震災から早や10年
悪夢のような東日本大震災からちょうど10年を迎えます。
首都圏の1都3県で緊急事態宣言が延長され、イベントの自粛ムードが続く中、各地で追悼の式典が催されるのか、わかりませんが、私も3月11日には鎮魂の祈りを捧げたいと思います。
福島第一原発の事故からも10年が経過しました。
私はもともと反原発でしたので、第一原発で水蒸気爆発が起きた当初は、すぐにでもどこかへ避難した方がいいのではないかと悩みました。
翌4月に都内で開催された反原発デモにも参加しました。
しかしその後、何かおかしいと感じ始めて、自分で調べたところ、多くの「事実でない」ことに踊らされていることに気づきました。
『玉響』読者で、放射線問題に詳しい方から山ほど資料を送って頂き、私も勉強しました。
服部禎男先生とも知り合うようになり、直接お話も伺う機会を得ました。
それで確信を得たことは、今回の原発事故で起きた「放射能漏れ」など、まったく心配するようなものではないということでした。
それからしばらくの間は、放射線について、デマを払拭するため、散々記事に書いたり講演で話したりしました。
「放射能怖い」説が蔓延している中、逆に「まったく安全である」と力説しましたので、風当たりは相当強いものがありました。
「専門家でもないあなたが、放射線について話すのはやめた方がいい」とも言われました。
私見で勝手なことを言っているのならやめた方がいいわけですが、ちゃんと専門家の意見や科学的知見をもとにお話ししているのです。
それでも「放射能怖い」で洗脳されている人の耳には入らないようでした。
『玉響』の読者もこれでかなり減ることになりましたが、私はいささかも主張を緩めることはありませんでした。
私は会員有志と共に事故の年から福島に行き、コメ作りを手伝い、畑を耕しました。野菜も土ごと食べました。
家族で何度も福島を訪れましたし、被災地を視察するバスツアーもやりました。
避難区域の中に、許可を得て入ったりもしました。
あれから10年。
今でも体に変調などありませんし、全然元気です。
皆さんはいかがでしょうか。
10年後には福島県民10万人ががんで死ぬと言われたのです。
奇形が増えるとか。関東も人が住めなくなるとか。
平気でデマを垂れ流し、風評被害を助長した人たちは責任を取るのでしょうか。
私はこの問題を思い起こすたび、怒りを禁じ得ません。
ここに、当時の『ザ・フナイ』(2012年10月号)に載せた記事を公開します。
当時の私はこの問題でかなり怒っていましたので、筆致も激しいものがありますが、よかったらお読みください。
https://www.shop-tamayura.com/pdf/thefunai201210.pdf
ただ私は、今も大型原発には反対の立場です。
大型原発だとどうしてもリスクはありますし、利権の塊のようなものが現在の原発事業だからです。
原発にこだわるのなら、服部先生の開発した超小型原子炉にすればいいのです。
あれならリスクフリーですし、低予算で作れます。
半世紀以上前に設計されていながら、いまだに試作機さえ作らせてもらえない。
それは、巨大な原発利権に阻まれているからです。
要するに、超小型原子炉なんか普及されたんじゃ儲からないわけです。
原発以外にも日本には次世代エネルギー技術はあったのに、日本は戦後ずっと、エネルギー面で自立できないようにされてきました。
そうやって日本の首ねっこを押さえつけてきたのが、米国です。
その米国も、『玉響』3月号のマックス・フォン・シュラーさんの話にもあるように、国内での混乱が増してきています。
https://www.shop-tamayura.com/shop/html/products/detail.php?product_id=254
まさに今、激動の時代です。
世界の秩序が変わるので、世の中は不安定になりますが、今までになかった良いことも起きてきます。
先を楽しみに、今を乗り切っていきましょう。