中矢伸一の「日々是弥栄」

何が起こるかわからないこの激変期だからこそ、神示を杖に歩む

最近よく引用される、日月神示『磐戸の巻』第16帖の、

 

「子の年真中にして前後十年が正念場」

 

という一節ですが、多くの人がこの「子の年」を今年の子年、2020年のことを意味しているのではないかと感じているようです。

 

そしてこの一節には、

 

「世の立て替えは水と火とざぞ」

 

という言葉が続くのです。

 

また、『富士の巻』第19帖には、

 

「火と水の災難がどんなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ」

 

とあり、さらに『下つ巻』第20帖には、

 

「いくら学力強いと申しても、百日の雨降らすこと出来まいがな。百日雨降るとどんなことになるか、臣民にはわかるまい。百日と申しても、神から言えば瞬(またた)きの間ぞ」

 

ともあります。

 

今、九州など各地で起きている豪雨災害を見ると、本当に恐ろしく思えますが、すでに「立て替え」の時代に突入していますから、私たちはこの大変な時期を、大難を小難にと祈りつつ、乗り切るしかありません。

日月神示の言葉は厳しいです。

 

「この神の申すことよく肚に入れて、もうかなわんと申すところ堪(こら)えて、またかなわんと申すところ堪えて、いよいよどうにもならんというところ堪えて、頑張りて下されよ。神には何もかもよくわかりて帳面に書き留めてあるから、何処までも、死んでも頑張りて下されよ。そこまで見届けねば、この方(ほう)の役目果たせんのぞ、可哀そうなれど神の臣民殿、堪え堪えてマコトどこまでも貫きてくれよ。マコトの生神がその時こそ表に出て、日本に手柄さして、神の臣民に手柄立てさして、神から篤く御礼申して善き世に致すのであるぞ、腹帯(はらおび)しっかり締めてくれよ。重ねて神が臣民殿に頼むぞよ、守護神殿に頼むぞよ」(『磐戸の巻』第19帖)

 

コロナで疲弊しているところに、今度は経験したことないような水害。

 

まさにサバイバルの時代です。