Media 有志の会より時事情報をお届けします ※必ずしも中矢伸一個人の意見ではございません

9条のおかげで戦争に巻き込まれずに済んだのか?

出典:陸上自衛隊HP

http://www.mod.go.jp/gsdf/about/emblem/index.html

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外国で「自衛隊」と名乗ると笑われる?! 英訳すると「護身隊」──元陸上自衛隊トップが指摘する「軍事のリアル」デイリー新潮 11/21(火)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171121-00532984-shincho-pol
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【要約】
昭和30年代のこと、陸軍士官学校を卒業した幹部自衛官がアメリカの軍学校に留学した。そこで、幹部自衛官は、「我々は陸軍(army)ではなく陸上自衛隊(ground self-defense force)である」と説明したら、クラスで爆笑が起こったという。その人は、なぜ自分が笑われているのか分からなかったが、それが「侮蔑の笑い」であると知り、帰国後に自衛隊を辞職してしまった。

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【コメント】23日木堅
笑われるかどうかは結局は実力しだいでしょう。
外国からみて珍妙なネーミングであったとしても、実力さえあれば一目置かれます。
ただSELF DEFENSE FORCEというものは和製英語のようなものでそもそも通じないので、JAPAN ARMY(NAVY、AIR FORCE)と外国人には言うべきだと思います
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日本語と他言語に完全一致する単語・表現があるわけではなく、例えば「水に流そう」という言葉を
Let’s flow off this matter.
なんて直訳したところで意味不明であり、一番ニュアンスが近い表現を探すのが通訳・翻訳でしょう。
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ただ自分は自衛隊という表現には違和感はありません。
たとえ自虐的と言われても、約70年その名を掲げてきた武士道的矜持がそこにあると思います。仮に憲法改正しようと国内向けにはそのままで構わないと思います。
ただしそれを直訳したところで外国には通用しないということです。正式英語名では相手に理解可能なボキャブラリーに一番近い表現=ARMYにすればいいだけです。
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世界から笑われるとしたら「陸海空戦力を持たずに交戦権を持たない」と憲法に規定しておきながら、現に陸海空戦力をもち、安全保障法制を可決しているという法的不整合でしょう。
国際法上認められる自衛権という自然権は憲法の上位概念だから云々という、日本人にも理解困難な政府解釈が国際社会から理解されるはずがなく、隣国のような法治主義の否定、人治主義にしか映らないでしょう。
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よって改正するのは当然(全面改正含む。)と自分は考えますが、9条改正=日米安保条約破棄、日本一国による安全保障体制(核保有含む。)へ移行という、極端な振れ幅の思い込み(懸念)が世間にあるように思います。
それについては安倍総理の日米豪印によるインド太平洋戦略(セキュリティダイヤモンド構想)から読み取れるように、9条改正が在日米軍基地完全排除、一国単独安全保障体制を意味するものでないことは明らかです。
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また、9条を盾にベトナム戦争・湾岸戦争・イラク戦争等、日本は戦争参戦を回避できたのだから、引き続き9条をそのまま保持すべきではないかという意見もあると思いますが、
アメリカが日本に参戦を強要しなかったのは、「9条を尊重したから」ではないでしょう(苦笑)。少なくともつい最近まで明らかに属国という意識をもっていた(今もまだ?)のだから、必要ならとっくの昔に憲法を変えさせていたはずです。
しかしながらそれをせず、日本が戦争に巻き込まれずに済んだのは決して9条のおかげではなく、先人の驚異的な敢闘精神がアメリカを畏怖させ、戦える戦力を持たせず有事法制の整備をさせなかったからだと私は思います。
要は米国は、再び日本人の大和魂といったものが覚醒しないように、戦争に参加させなかったというのが正しいのではないでしょうか。せっかくWGIPで抜いた牙が、戦争経験が起爆剤となり、また生えてくるかもしれないという恐れだったと思います。

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そして今、なにかしら、だれかしらの思惑により、日本覚醒へのGOサインが出ているのだと思います。
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アメリカの弱体化が顕在化している今、その弱体化した分の力を日本が持たざるをえないのであろうし、むしろ戦争に巻き込まれないために、自立する必要があるのだと思います。

そして日本が世界の中心たろうとしている潮流において、軍事的自立のない国家にその資格などないでしょう。(了)

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(参考)
それでもどうしても、現に目に見える他国の侵略兆候よりも、将来の軍部(自衛隊)の暴走が怖いという方については、
一度「カエルの楽園(百田尚樹)」を読まれることをオススメします。
百言に勝る説得力です。

「ワン・ワールド」分析

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【コメント】6日木堅

落合莞爾の一連の著作を欠かさず読んでいます。
自分の歴史知識・読解力が足りず正直消化不良は否めませんが、落合史観を仮に真とすれば、文献には書かれていない歴史について、かなりの部分が見えてきます。

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それら著作群を「証拠がない」と言って批判する向きがありますが、その態度は「真の歴史がすべて文献として残されている」という前提を必要とします。
そんなはずはありませんね。有史以前、もちろんそれ以後も書かれなかった歴史も多くあるだろうし、時の為政者が書かせた偽史も無数にあるでしょう。要は文献は「証拠」ではなく有力な「手がかり」に過ぎません。自明のことです。
その「洞察」に妥当性があれば、絶対視するわけではないですが、少なくともその可能性を受け入れるべきであろうと思います。

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ただその妥当性を判定する能力が自分にはないため、ひとまず虚心に受け入れて落合説を理解しようと努めています。そういうのを一般には熱烈なファンというのかもしれませんが(笑)
要は分析は多角的・複眼的にあらねばならないと思っており、その自分の分析の視点の一つに「落合視点」を加えています。

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主要な落合説については、過去記事で概説しましたので、こちらをごらんください。

『落合秘史シリーズ⑦ワンワールドと明治日本』落合莞爾(成甲書房)

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さて本題ですが、一般的に陰謀論と呼ばれるものへの積年の疑問とも被るのですが、落合説について自分が飲み込めていないことがあります。

それは、仮に國體ワンワールドという米国にも欧州にも國體参謀が配置されている、日本を中心とした世界秩序が存在するのなら、

・なぜ大東亜戦争で日本は完膚なきまで袋叩きにあったのか、
・なぜ戦後もWGIP、安保理敗戦国条項、プラザ合意、郵政民営化、慰安婦・南京・捕鯨プロパガンダ等々、日本が標的となるような攻撃が許され(た)るのか、
・なぜいつまでも日本はアメリカの間接統治下に置かれるの(た)か、
・なぜ映画「THRIVE」に描かれるような世界を搾取するグローバリズム支配が許される(た)のか、
・なぜアメリカを主体とするマッチポンプの戦争ビジネスが許される(た)のか、

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それらが疑問でなりませんでした。
「國體天皇が一言やめろって言えばいいじゃん」といった極めて素朴な疑問です。

その疑問に対して、完全にではないですが、なんとなくわかったような感じにさせる内容が、最新刊「大日本帝国を陰から支えた『天与のクスリ』國體アベンの正体」の序章において踏み込んで書かれていました。
その内容を、過去著作の内容を含めて自分なりに図示したものが、以下になります。

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(別タブで開いて拡大してご覧ください)

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一連の著作を読まなければ、なんのことやらという印象しかないかもしれませんが、

このように俯瞰すれば、陰謀論の主役、所謂「ユダヤ」と呼ばれ、ひとくくりに悪の権化とされる存在の立ち位置がぼんやり見えてきます。
それは日ユ同祖論と呼ばれるユダヤと同一ではないし、現イスラエル国家とも一致しません。
それをユダヤと呼んでよい部分も大いにあるかもしれませんが、総称としては不適切なのだろうと思います。

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要するに、國體ワンワールドという最高「権威」があっても、言うことを聞かない「権力」が存在するということです。

日本国天皇陛下は、列国王族・大統領、ローマ法王等を超越する国際VIPプロトコルの頂点に君臨する権威ではありますが、日本国三権の権力は有しません。
少なくとも古事記の世からあくまでもシラス存在であり権力とは切り離された存在です。
それが日本民族においては最低2000年機能し続けてきたわけですが、修羅・畜生・餓鬼界の世界各国にはシラスという秩序が通用しません。
否、最近では国内でも陛下が「摂政は不可」という直接のお言葉をおっしゃっても、有識者なる連中が「いや摂政でいい」ということを平気で言うような状況ですから、いわんや世界をや、です。

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それでもなぜ日本を標的とするのかという疑問にすべてを答えるわけではありませんが、大筋としてなんとなくわかってきた感覚を覚えます。

そして鍵となるのは、皇室にも金融ワンワールド側の存在がいたということであり、その存在は今や故人となったということです。

それがきっかけで多くのことが動き出したと言えそうです。

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現在において、國體天皇の候補となるのは、常陸宮正仁殿下もしくは今上陛下以外ありえないわけですが、落合著作群から察するに、今上陛下が政体・國體を兼務している状態ではないかと思われます。
國體体制としては史上ない非常事態と言ってよいでしょう。ご譲位という意志につながったことと無関係ではないと思います。

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そして裏情報ということで言えば、中矢代表からは、このような図とはまた違う世界秩序に関する情報も漏れ聞きます。

どちらが正しいというものではなく、いずれも多くの部分が真実なのであろうと思います。
要はどんな情報も絶対視することなく常に相対的に比較検討することで、より本当の姿に近づくことができるのでしょう。

善悪、〇×、0-1そのような二元論の態度がいちばん真理から遠ざかる落とし穴なのだと思います。

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(参考)

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